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神秘体験


これが、神秘体験です。神秘体験は、今、ここで、起こっています。とてつもなく神秘的な何かが、今、起こっています。私たちは生きていることに気づいていますが、それが何なのか知りません。何てすばらしいのでしょう。広大な宇宙に暮らしながらも、宇宙が一体何なのか知りません。何てすてきなのでしょう。今この瞬間を経験しながらも、この瞬間が何なのかまったくわからずにいるのです。何て面白いのでしょう。

”今この瞬間”を見つめてみると、形と色でできた”世界”と呼ばれるタペストリーを経験しているとわかります。けれど、その”世界”とは一体何か?心に立ち上る考えや感情をこうして経験しているけれど、それらはどこからやって来るのか?自分の存在を確かに感じていても、なぜ存在しているのかは依然として謎のままです。何ということでしょう。

人生は完璧に神秘的で、その神秘に思わず息を呑むほどです。けれど、多くの人はそれを当たり前のこととして日々を過ごします。本当は分かっていないのに、何が起こっているのか把握しているフリをします。人間でいることは途方もなく大きな謎で誰もが戸惑っているにも拘わらず、理解しているフリをするのです。

生きることの神秘のその深遠に触れる時、自ずと立ち上る神秘体験を冒険していきます。神秘に意識を向けると神秘体験が立ち上り、すると意識の状態はすぐさま変化を始めます。

意識の状態に変化が起こると、こうして自分が存在していること、そしてそれがどれだけすばらしいことかをはっきりと見て取ることができるのです。いつもの世界を好奇心とともに見つめるようになります精神が把握する現実はちっぽけなものだと認めるようになります。ハートは生きる喜びにワクワクするはずです。けれど、これは神秘体験の表面的な現れに過ぎません。神秘に深く潜れば潜るほど、神秘体験もまた、さらなる深さを私たちに見せてくれます。

神秘体験の深みへと旅をし、”スピリチュアルな目覚めと呼ばれる何かへと手を伸ばします。スピリチュアルに目覚めている時、私たちは筆舌しがたいもうひとつの意識の状態に入ります。このすばらしい感覚を言葉にすることはできませんが、確かに味わうことができるのです。

先日、私は夢を見ました。夢の中で私はステージに立ち、多くの観客に向けて神秘体験について話を始めようとしていました。そして、話そうとしたまさにその時、この体験がどれだけすばらしいものかを描写する言葉が見つからないことに気づいたのです。私は一瞬固まりましたが、すぐに何をすべきか気づきました。そう、飛べるのだから!私は「神秘体験とはこんな感覚です」と言い、宙にふわりと上がって空の空間を夢中になって舞い、上へ下へと自由自在に飛び回りました。

神秘に目覚める感覚を伝えるために今すぐ飛び回れたらよいのですが、あれは夢の中のことです。起きている間にどうしたら飛べるのか、私はまだ知りません。それにあなたからは私が見えません。だから、言葉を尽くして神秘体験を伝えましょう。トライしてみたいのです。

神秘体験に深く入る時、私は愛の海に溶けてゆくように感じます。宇宙と一体になる驚きと閃きの感覚がそこにあります。感覚的肉体が目覚め、意味の模索は言葉なき理解に溶け出し、それはあまりに深く、深いがゆえに考えとしては経験されず、そこには「すべてよし」という静かな確信があり、我が家に辿り着いたような安心感があります。



12歳の頃に目覚めと出会って以来、私は神秘体験を見つめ続け、数十年にわたって目覚めを初めて体験する人々に寄り添ってきました。目覚めたとき、多くの人が発する言葉。それは「わぉ!」です。

ここ数年、人々を目覚めへと導く「神秘体験リトリート」を開催しており、参加者からたくさんの感動的な手紙が届きます。ここでよく登場する言葉もまた、たくさんの感嘆符が添えられた「わぉ!」です。

「わぉ!」はすばらしい言葉です。アメリカのスラングかと思いきや、16世紀のスコットランドに起源をもつ言葉なのだそうです。「わぉ!」は、不思議に思い驚く気持ち、つまりワンダーする気持ちを表す言葉。神秘体験はとてもとても大きな「わぉ!」ですから、目覚めが一体どんな感覚かを示すのにこれ以上相応しい言葉はないかもしれません。それは、今まで経験したどんな不思議よりもすばらしい驚きなのです。

「わぉ!」と驚くにはさまざまな方法があります。美しい音楽を聴いて芸術のすばらしさに「わぉ!」と驚く。科学を通じ宇宙の厳かさに触れ「わぉ!」と驚く。美味しい料理を食べて「わぉ!」と驚く。スポーツを通しての脅威的な身体能力を目の当たりにして「わぉ!」と驚く。何かを学ぶことで自分自身の能力に「わぉ!」と驚く。

ここで出会うのは、目覚めの「わぉ!」です。存在することそのものの神秘に出会う、深遠なる「わぉ!」。生きることのこの上ないすばらしさに気づく、うっとりとした「わぉ!」。とてもシンプルな生きることそのものの「わぉ!」。言葉を超越したところにある何かに触れる、えも言われぬ「わぉ!」



神秘体験は誰もが求めている「わぉ!」です。私たちは皆、生きる実感を欲していますが、目覚めている時、私たちはどこまでも生きていると感じます。誰もが自由を求めていますが、目覚めている時、私たちは完璧に自由であると知っています。誰もが愛を求めていますが、目覚めている時、私たちは無限の愛にたっぷりと浸されています。

世界各地に点在するスピリチュアルな教えの中核は、どれも「わぉ!」に目覚める方法を指し示していると言えます。ゆえに、私は何十年にもわたりこうした教えと向き合ってきました。スピリチュアリティは人生についての思索として捉えられることも多いでしょうが、それ以前に、そして何にも増して、それは意識を変革し、言葉を超越した何かへと導くものであるはずです。

●賢人たちが説いたあらゆる教えは、「あぁ、これだ!」という突然の驚嘆に添えられた注釈に過ぎない。

●私は賢人ではないし、ここに記されたすべてのアイデアは喜びに満ちた叫び声『わぉ!』の注釈に過ぎない。以上!




ワンダーする


目覚めの経験を言葉にすることは誰にとっても非常に難しいもの。しかし、相手がその経験についてよく知らない時、目覚めに限らずあらゆる経験の描写は困難であるはずです。夕焼けを見るという経験がどんなものか、目の見えない人に向けて描写するのは簡単ではありませんし、音楽を聴いて感動することを、耳の聞こえない人に対して説明することもまた難しいはずです。

「私は怒っています」と言う時、怒りを経験したことがあるから、それがどんなものかを理解することができます。コミュニケーションは共通の経験に拠り所を見出します。あなたが知っている経験と対比しながら、目覚めについて伝えたいと思います。

不思議に思い、驚く、つまりワンダーするというシンプルな体験から「わぉ!」に目覚める方法を皆さんと分かち合います。深くワンダーすればあなたは目覚めます。存在の息を呑むような神秘に気づくことで、神秘体験は自ずと立ち上るはずです。

私たちは不思議に思い、驚嘆することにより旅に出て、やがて神秘へとたどり着き、その神秘の中枢に横たわる「わぉ!」に出会います。グノーシスの『マティアの福音書』にはこのような言葉があります。


●あなたの目の前にある物事を不思議に思い、驚くこと、それは深い知恵に触れるための最初の一歩である。

●どこまでも不思議に思い、驚いたからこそ、鋭い気づきを得ることができたのだ。思案し、熟慮することをしなければ、あなたの人生のすべては埋もれてしまうだろう。


生きることの眩い神秘を前に、そこに好奇心がなければ意識もまた注がれます。ゆえに、不思議に思い驚くこと、つまり、ワンダーすることは目覚めにおいて必要不可欠です。生きることがワンダーをもたらさないのであれば、私たちは半分死んでいるも同然なのです。


アート・オブ・ワンダー


哲学界の英雄ソクラテスはこう述べています。

●ワンダーの感覚は哲学者にとっての試金石である。それは哲学の始まりにすぎない。


哲学はかつてこのように捉えられていましたが、今日においては味気のない概念の模索として解釈されることが多いのもまた事実です。私は何年も前、この現代的解釈にもとづいた哲学を大学で専攻していました。精神にとっては最高のトレーニングでしたが、いつの間にか言葉の迷路に迷ってしまったのです。私は「スピリチュアルな哲学」に興味を持っていました。それは言葉の森を抜け、経験の神秘へと私たちを導くものであるはずです。

スピリチュアルな哲学は思考によって神秘を曖昧にするのでなく、思考を用いることで神秘を明かそうとします。概念は概念に過ぎないことを認識し、概念が神秘を孕むことはできないと理解しています。究極の答えを提示するのではなく、生きることの経験をさらにワンダーに満ちたものにする新たな見方を授けるのです。

新プラトン主義の哲学者プロティノスは、哲学に対するアプローチについて次のように述べています。


●哲学者の仕事とは、我々をビジョンへと目覚めさせることだ。

私が深く共感する言葉のひとつです。私にとって哲学者とは、深くワンダーすることで言葉を超えた「わぉ!」へとたどり着く手助けをする者。その過程で哲学者の「ん?」は、ヨガ行者の「オーム」へと変容するのです。



ワンダフル・ライフ(ワンダーに満ちた人生)



ここまで、神秘体験に満たされることがどれだけすばらしいことかを述べてきました。さらなる冒険へと歩みを進めるあなたの好奇心を刺激したかったのです。ひとつ理解しておいてもらいたいのは、「わぉ!」は絶頂の体験でもなければ、ハメを外してハイになることでもないということ。スピリチュアルな目覚めは、私たちの思考、感情、行動に影響します。「わぉ!」に出会うことで日々の暮らしに新しい生き方が立ち上がります。ソクラテスの有名な言葉に次のようなものがあります。


●熟慮されていない人生は、生きるに値しない。


一方、現代の哲学者アルフォンソ・リンギスはこのように述べています。

●生きられていない人生は、熟慮するに値しない。


このどちらもが正解です。熟慮しなければ、私たちは半分空っぽの意識で朦朧としたまま毎日をやり過ごすことになります。一方で、人生を熟慮することがそれを思う存分生きることにつながるからこそ、熟慮することには大きな意味があるのです。

あなたを「わぉ!」へ目覚めさせて、人生経験を変容させる、深く哲学的な”生きることの物語”を分かち合いたいと思います。ひとつ覚えておいてほしいのは、内容は物語に過ぎないということ。説明のみで存在の神秘の全てを知ることはありません。人生は常に私たちが考える以上のものです。哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドはこう述べています。



●哲学はワンダーすることに始まる。そして最後、哲学的思考がその最善を尽くした説き、そこにはワンダーだけが残される。





神秘体験をあなたと分かち合うためのものです。やり取りが一方的になるのは致し方ないことですが、ここで抗議をしたいのではありません。コミュニケーションがハートとハートで向き合う対話となることを願っています。最も美しい方法であなたとつながりたいのは、お互いがお互いにとって本物である時、そこに魔法が起こるから。

●友よ、これは本ではない、
人に触れるこれに触れるのは誰だ?
(それは夜なのか?私たちはひとりで、ここに一緒にいるのか?)
あなたが抱きしめる者、そしてあなたを抱きしめる者、それは私なのだ。


時空の網の中、私たちは異なる場所にいます。でも、ここで今、わたしたちはともにあるのです。では自己紹介を始めましょう。まず大切なことから、スピリチュアルな目覚めの教えてであるからといって、私は自分が悟りを開いたマスターであるとは考えていません。私は神秘体験に情熱を注ぐひとりの人間に過ぎません。

不思議に思い、驚嘆することに人生の多くを捧げてきたため、それはいつの間にか私が得意とするものになりました。深くワンダーすることで「わぉ!」に目覚め、神秘体験に出会うことができるので、私は神秘体験をよく知るようになり、人々をこの体験へと導くこともできるようになったのです。意識を向けるそのことが、やがて得意なものになります。私の場合はスピリチュアルな目覚めに意識を向けてきたのです。

私は完璧な悟りの状態に達してはいませんし、悟ることを期待していなければ、望んでもいません。また、悟りを開いた特別な人々に対する一般的な見解は完全に誤っていると感じているため、悟りに至っていないことを失敗とも考えていません。

スピリチュアルな哲学について書いてきましたが、いまだに赤子がヨチヨチ歩きをしているように感じています。無限の神秘を前に他にどのように感じろというのでしょう。誰も知らない宇宙の神秘を知っているわけではありません。私は単に、不思議に思い驚嘆すること、つまりワンダーすることが大好きなのです。こうかもしれない、物事にこういうふうに触れたらよいかもしれないとワンダーすることが、私を「わぉ!」へと目覚めさせ続けます。

だからといって人生が常に完璧で、いつも満足しているわけではありません。私の人生には山もあれば谷もあります。きっとあなたの人生もそうでしょう。こうした言葉を綴っているのは、実際に皆さんと同じようにさまざまなジレンマを経験しているからです。私たちは皆、生きることの神秘においてともにあります。その神秘において、先人たちから与えられた教えの中で価値があると感じたことを、感謝の気持ちとともにあなたと分かち合いたいと願っています。

私はあらゆる意味において特別な人間ではありません。あなたや他の誰かより特別なところはひとつもありません。50代で、家庭を持ち、父であり夫であることの喜びと責任のすべてを抱えて生きています。良いところもたくさんありますが、欠点も山ほどあります。実際に私と会うことがあるなら好感を持ってくれるかもしれませんが、一緒に暮らすことになったらいずれは嫌な面を見つけるはずです。けれど、それもまたよし、と思うようになったのです。私たちは皆、すばらしい魂であることも嫌なヤツであることもできるのだから。そうでしょう?



大きな問いと大きな答え



子どもの頃、私は大人たちが雑学で頭をいっぱいにしてばかりで、人生がどれだけ神秘に満ちているかを語ろうとしないことに頭をかしげていました。人生は大きな問いであり、きっとどこかにその問いに対する大きな答えがあるはずだと、私は直観的に感じていたのです。生きることが何なのかを知る時、自分が何をすべきかもわかるはずだと、静かに座り、想いを巡らせることの多い子どもでした。


私は愛らしい雑種犬スクラグを傍らに、忙しく動き回る小さな街を眺めながら、驚きと喜びの思索に耽っていました。ディズニー映画の一場面みたいだと思うかもしれませんが、人生には時としてそんな1ページがあるのです。

思索に耽っていたある時、魔法のような出来事が起こりました。驚きと喜びにすっかり吸い込まれ、意識が自ずと変容したのです。初めて味わった神秘体験。それはまさに「わぉ!」でした。

かなり昔のことですが、今でもあの圧倒的で、とてつもなっく美しく、うっとりとするような愛に満たされた経験をはっきりと思い出すことができます。まるで宇宙全体が無限の愛に震えているように、そしてその愛に溶け出し、宇宙とひとつになるように感じました。世界は不思議の国、つまりワンダーランドになったかのようでした。最高にすばらしい驚きに出会ったようでありながら、いつも密かに知っていたことを思い出したようにも感じられました。

自分に何が起こっているのかまったくわかりませんでしたが、生きることについての大きな問いに対する大きな答えに出会ったのだと、どこかで知っていました。答えは難しい理論ではなかったのです。それは、大きな問いが愛の海に溶けだす神秘体験でした。この発見が私の人生を大きく変えたのは言うまでもありません。

この瞬間と出会って以来、私は神秘体験を探究し続けています。意識を変革する方法、目覚めと日々の暮らしを統合する方法を模索し続けています。けれど、スピリチュアルな探求を経てもなお、かつてそう望み、また想像していた永遠の目覚めには達していません。一方で、もっとすばらしいことが起こりました。そう、私は生きることと恋をするようになったのです。




生きることとの恋



子どもの頃、期せずして経験した目覚めは、生きることとの恋の始まりでした。生きることとの恋は実際の恋愛と似ています。初恋は特別な経験です。こんな気持ちになってみたかったとずっと願っていた体験ですが、それはさまざまな喜びと葛藤を孕む恋という名の大冒険の始まりに過ぎません。

いずれ、すべてを変える何かに気づく瞬間が訪れます。深く愛していると知る時、もはや一時のロマンスに身を委ねているのではないとわかります。この魔法の瞬間は、愛を交わす恍惚の最中に起こることもあるでしょうし、皿洗いをしている時など、日常の何気ない瞬間に起こることもあるでしょう。相手との関係がうまくいっている時かもしれませんし、別れに直面した時かもしれません。いずれにせよ、その瞬間に出会った時、私たちの世界はこれまでとはまったく違ったものへと変容します。

誰かを深く愛しているとどのようにわかるのか、説明することはできません。ただそうだと知っているのです。そして深く愛している時、私たちは無条件にその恋愛に身を捧げています。愛することは一緒にいて楽しいことだけではないと知っています。それは相手が耐えられない時であっても、愛し合っていることを忘れないことでもあります。良い時も悪い時も相手のためにそこにいることが愛することです。

生きることとの恋もこれと似ています。幼い頃、神秘体験に溶かされたあの時、私は初恋をしました。ロマンスが始まり、美しい瞬間はやってきて、そして去り、時に私は何かを失ってひとり立ちすくむこともありました。そしてある時、すべてを変える何かに気づいたのです。私は完璧に、無条件に、生きることを深く愛するようになりました。良い時も、悪い時も、健やかなる時も、病める時も、喜びにおいても、悲しみにおいても、生きることとの恋に身を捧げていると知ったのです。

古来より人は人生を大いなる女神に例えてきました。時々私はこの女神と恋をしているのではないかと思うのです。女神との恋愛はたくさんの喜びをもたらしますが、それは大きな挑戦でもあり、さまざまな状態においてお互いを知ることで大いなる変容に触れる冒険でもあります。ふたりでありながらひとつになるダンスなのです。

時には私と女神はともにあって幸せで、すべては完璧です。時に私たちは喧嘩をし、離れ離れになります。愛を交わす時には、その瞬間の神秘以外何も関係なくなります。時間においてともに働き、実際的な物事に携わらなければいけないこともあります。女神のあまりの美しさに胸が高まらずにはいられないこともありますし、私の期待に応えてくれないと女神を罵ることもあります。女神は気まぐれにも拘わらず、彼女を完全に信頼する時もあれば、女神の愛を疑って愛されることを求める時もまたあります。けれど、あらゆる時を通じて私は女神の神秘のすばらしさに触れ続けます。そして女神を心から愛していることを決して忘れません。

「わぉ!」は情熱的なセックスや優しさに満ちた親密な関係と似ています。特別な瞬間を無理矢理引き起こすことはできません。お互いがそうした心理にある時、特別な瞬間は自ずと起こります。魔法の瞬間は恋愛関係を燃え上がらせるでしょうが、それはいつもそこにある静かな愛、静かにともにいることの愛に支えられています。

こうして”存在すること”がもたらす愛が、山あり谷ありの人生との恋愛において、私を支え続けています。だからこそ、例え起こっている出来事が好きになれなくても、生きることを愛することができるのです。良い時も悪い時も生きることに身を捧げ、嵐に耐え、雨の中で踊ることができるのです。

神秘体験を探ることで、私の人生は恋愛へと変容しました。そしてスピリチュアルな探究に対する見方も変わったのです。永遠に辿り着くことはできないだろう究極の悟りを望むことはなくなりました。その代り、生きることに見合った恋人になろうと決めたのです。


マジカル・ミステリー・ツアー



生きることと恋人になるための「わぉ!」に出会う新しい方法を紹介します。多くはシンプルなアイデアに始まるものの、次第に複雑になってしまうものです。けれど、目覚めの過程はこれを逆行します。冒険の始め、生きることをまったく違った視点から見つめて馴染みのない方法で捉えるため、スタートを切るのは簡単ではありません。けれど、この冒険はそもそもとてもシンプルな生きることの理解を目指しているので、冒険の後半はなだらかな道を進むことができるはずです。

ここから始まる冒険があなたにとって神秘と魔法に満ちたマジカル・ミステリー・ツアーとなるよう、前もって多くを述べることはしたくないのですが、私と一緒に冒険の旅に出ることを心配しないでください。安心している時、私たちは開かれ、目覚めた状態がいかに自然なものであるかは自ずと明らかになります。

安心を確信するとハートはすぐに開かれます。これは何年もの間、多くの人々と神秘体験を分かち合いながら知ったことです。リトリートでは参加者が安心して神秘に思い切り飛び込むことができるよう、ありとあらゆることをします。目覚めることが努力を必要としない純粋な喜びであるよう、リラックスしてありのままの自分でいて欲しいのです。

私たちはめぐり会うさまざまなアイデアをかき集めながら人生に向き合います。アイデアが今のあなたの生き方と調和するか否かが、この先の冒険の心地よさを決めるはずです。ですので、いくつかのことを事前に伝えておきましょう。

この冒険の旅は、生きることにワンダーすることからスタートしますが、人生がワンダフル、つまりすばらしさに満ちているとは感じられない瞬間が多々あることも重々承知しています。もし今、あなたが辛い時を過ごしているのであれば(誰であってもこうした経験を避けることはできません)、この先に書かれた内容があなたより幸せな日々を過ごす人間のまくしたてる人生讃歌ではないことをわかっておいてください。

私たちは生きることについて現実的である必要があります。目覚めの冒険をするのであれば、悲しみ、迷い、怒り、苦しみ、囚われ、孤独を孕んだ生きることの苦やら身にも足を踏み入れなければなりません。そこに足を踏み入れなければ自由になることはできないからです。

今回、目覚めに初めて触れるのであれば、「わぉ!」の深さに触れるにあたってスピリチュアルな経験をしたことがあるかどうかは関係ないことを伝えておきましょう。既成概念に縛られないのでむしろメリットであるかもしれません。

あなたがこれまでスピリチュアルな探求を続けてきたのなら、このアイデアが新鮮なワンダーをもたらして目覚めを手助けすることを願っています。また、よくあるスピリチュアルな教えとは異なるアイデアが含まれていることをあらかじめ知っておいてください。スピリチュアリティへの新しいアプローチを明確に提示するため、時として批判しなければいけない場面もあるのです。

目覚めについて頭では理解したものの、まだ経験していないという人もいるかもしれません。知的な理解は大きな助けになりますが、「わぉ!」を経験するためには思考を超えなければいけません。

実際に「わぉ!」を経験する手助けをするために、全編を通じて神秘体験に深く入るための実際に行うワークを紹介します。時折立ち止まってこのワークを試してみてください。さもなければ、あなたの前には山のような言葉しか残らないことになってしまいます。

目覚めについて疑っている人もいるかもしれません。もしそれならそれは良いことです。私が疑問を投げかける人が好きです。それに、もしすべてに対して徹底的に懐疑的なら、脳はポンと開け、神秘のただ中を舞っているはずですから、あなたはそこまで懐疑的ではないはずです。

スピリチュアルな本には非合理的で意味を成さないことがたくさん書かれていますから、目覚めについてあなたが懐疑的なのもよくわかります。私が合理的であることを大切にしています。合理性とはつまり特定のものの見方を採用するにあたって相当の理由があるということです。考えが興味をそそるものであるならば、私はしっかりと考えることが大好きです。

あなたが物事を科学的に捉えることに慣れているなら、私も科学に大きな興味を持っていることを伝えておきましょう。この科学の時代において、科学的発見と整合性の取れたスピリチュアリティを形づくることが肝要です。スピリチュアリティと科学との関連性はテーマのひとつでもあります。

もし、あなたが感受性の強い人であるならば、私もそうであることを知っておいてください。私は自分を哲学者と呼んでいますが、私にとってのスピリチュアルな冒険は、本質においては愛にまつわる冒険です。冒険の途中、やっかりな哲学の山を超えなければいけないこともあるかもしれませんが、そうしてこそ生きることの中心へと辿り着くことができます。ハートを開くためには精神を澄んだ状態にする必要があるのです。

あなたがどんな人であれ、出会う冒険があなたに多くをもたらすことを願っています。この冒険の旅に出るにあたって真に必要なのは、生きることにワンダーすること、つまり興味を持って自らを置き、冒険者であろうとすること、ただそれだけです。私にとって冒険者とは、前人未到の行き方が知られていない場所へ旅をする者のこと。私たちはそんな場所に辿り着こうとしています。あなたが冒険者なら、ようこそベースキャンプへ。大いなる冒険の旅は、いま、ここに幕を開けます。

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